マリアについて
2022/05/30
今回は、うちの猫〝マリア〟について書きます。
最近あった出来事を綴りたいと思いました。
長くなりますので、2回に分けて書きます。
内容は、マリアのはじめての家出。
そしてその時マリアの身に起こった事、その事で私の中に芽生えた変化。そんな時に出逢った仔猫について振り返ってみようと思います。
マリアは一昨年の11月に段ボールに入った状態で、うちのサロンの敷地内に置かれていました。
その時、推定5ヶ月と言われていたので、もうすぐ2歳になる黒ネコです。
段ボールが置いてあった時は、中から音もしないし、取っ手から黒いものが見えるのでカラスが死んでる?爬虫類?と思いながらもドキドキしながら開けると、片目のない黒ネコが元気なく横たわっていました…
が、その直後、元気よく飛び出てきて、近くにいたうちの先住ネコを追いかけまわし、とにかく人懐っこくて安心したのを覚えています( ̄▽ ̄)
その後も、サロンに来られている方々はご存知の通り、鳴き声がハ行で『ニャー』と本人は言っているつもりだろうけど、『ヒャー』とか『ふぁぁー』とか言ってるのが何とも可愛く、ひょうきん者なので、すぐに人気者になりました。
本当は里親さんを探そうと思っていたので、仮の名前で〝マリア〟と呼んでました。
胸に白の十字模様があったから何となく、繋ぎの名前としてつけていました。
その仔猫も今ではうちの看板ネコとなり、現在に至ります。
そのマリアが、今年の3月末に突然いなくなりました。
とても甘えん坊で、常に近くに居て、一度も家を空けたことがなかったので、とても心配でした。
いつも午前中の開店前にマリアと前の広場で遊んでいたのですが、その日は他の用事で遊べず、マリアが鳴いて誘いにくるのも無視していると、すねてひとりで外に出かけていきました。
午後になってお客さまをお見送りするため外に出たのですが、マリアが見当たらない。
いつもは私が外に出ると何処からか出てきて一緒にお見送りしたりするのですが、いない。
遊べなかった事をすねて怒ってるのかな?
と思いながら、仕事が終わり夜ゴハンの時間になっても帰ってこない。
周りを探してもいる気配がない。
他のネコ2匹も、なんだかいつもと違う様子で、その日の夜は私のお腹の上で2匹が寝ていました。
マリアがいなくなったことを分かっているようでした。
次の日は朝から大雨で、〝もう帰ってこれないだろう〟と覚悟をしました。
あぁ、あの時ちゃんと遊んであげてればよかったな…と思いながら、自分の行いからきた結果をただ受け取るしかないと思いました。
そんな時、その日の夕方、仕事が終わって最後のお客さまとお話していると、『ふぁっふぁ〜』と言いながら、何事もなかったかのように階段をかけのぼって帰ってきたのです!
もうびっくりしたのと、安心したのとでホッとして、何度も謝りました。
そうか、マリアももう2歳。
大人になったんだな…他の2匹のように、もう遊んでくれなくなる日が来たのだな。と突然の急な成長に戸惑いながらも感慨深く、時の流れを感じていました。
そして私の元から歩き始めた時、その後ろ姿に違和感を感じました。
『あれ?なんだか歩き方がおかしい?』
『…しっぽが垂れ下がっている!』
よく見たら、腰がひけていて、後ろ脚が曲がって、アヒルのように歩いていました。そして、しっぽが床に落ちて引きずられていました。
〝これは、ただごとではない〟
その日の夜のマリアはゴハンも食べず、いつもはよく喋るのにおとなしく、ジーっとしていました。
いつもいる椅子にも飛び乗れないし、後脚で顔を掻こうとしても届かない。
お世話になっている動物病院に歩いている動画を送ったところ、〝もしかしたら事故にでも遭ったかな?〟という事で病院に伺いました。
結果、しっぽの骨が根元のところから断絶していました。
しっぽの神経も断絶していて、もう治ることはないとのことでした。
『きっと痛かっただろうと思います』
と伺い、そんな状態で一晩動けずに、雨の中帰れずに、じっとどこかに潜んで耐えていたのだろうと思うと胸が苦しくなりました。
そして、痛いのによく帰って来てくれたなぁと、きっと必死で帰ってきたのだろうと思うとたまらなくなり、マリアを抱き寄せ密かに泣きました。
それと、レントゲンを撮ってもうひとつ分かった事がありました。
マリアの右の股関節がもともとなかったのです。
股関節は骨盤と脚の骨を繋いでいる関節ですが、それがないので、脚の骨が骨盤にくっついてなくて、脚の筋肉で動いているとのことでした。
骨盤にくぼみもなく、脚の付け根の骨の先端部分も丸くなくまっすぐなので、股関節が溶けてなくなっている、というか生まれつきなかった可能性が高いそうです。
もともと背骨が曲がっているなぁと思っていたし、歩き方も少しぎこちなかったのもそれが原因だったのか!と納得。
もしかしたら、片目がないのも生まれつきだったのかもしれないなとも思いました。
人間に置き換えて考えてみると、大変な境遇であります。
ただ、マリアはみんなに可愛がられて幸せそうに生きている。他のネコと微塵も変わらず、表情豊かに日常生活を送っています。
そして、何かしらのトラブルに遭遇しても、ネコの本能で、その事を私にも見せようとせず、人知れず自分で治そうとしていたのだなぁと。
健気なマリアの姿に心を打たれ、私も泣いている場合ではない、気をしっかり持って、マリアが幸せに過ごせるるようにサポートをしようと決めました。
けれども、マリアはそんな状況もモノともせず、次の日には走れるようになり、ゴハンも食べて、いつものように遊んでくれと呼んでくる、すごい回復力でした。
思わず、目の前の広場で走ってきて砂まみれになっている動画を撮ってインスタにアップしたほどです(笑)
しっぽが動かなくてもマリアはマリアである事には変わりないし、将来的に寝たきりにならないように、今から更に足腰を鍛えようと思い、今まで以上に走ったり飛んだり、一緒に遊んでいました。
おかげで一気に痩せて、首輪もブカブカになり、スリムになったのですが、お腹だけがパンパンで、気になっていました。
そして気になっていた、その予感が的中しました。
1週間経ったある日、マリアが寝ていたところでオネショをしていたのです。
こんな事は初めてなので、驚いていたら、座っている時やくつろいでいる時にもオシッコがしっぽを伝って流れていました。
ただ、本人はその事に気づいていないのか、なんの反応もないので、〝もしかして後遺症?麻痺?〟と思い、また病院へ。
お腹もパンパンに腫れていたので、レントゲンを撮ってもらったところ、膀胱が異常なほど膨らんでいました。
お腹がパンパンなのは、オシッコが溜まりすぎて膀胱が膨らんでいたからで、飽和状態で漏れ出てきたそうでした。
腎臓の数値は正常だったので、もともと膀胱が広がりやすく、今回のトラブルの後遺症で感覚がなくなっているのかもしれないけど分からない、なかなかないケースでお医者さまも経験がないとのことでした。
そして、もともとの膀胱の形も本来は丸いのですが、クロワッサンのような形でした。
これも生まれつきなのかもとの事で、またまたなんて事だ!と言葉になりませんでした。
膀胱の収縮する力がないので、圧迫して排尿を促すのですが、マリアが嫌がり緊張して力むので、尿道がより狭くなり出ない。
やっぱり力を抜くことが大事なようです。
その日は麻酔をして筋肉を弛緩させて全ての尿を出してもらいました。
でもこれからもこのままではまた膀胱に尿が溜りっぱなしになり、同じことを繰り返してしまう可能性がある。
管を通すにも身体が小さすぎて日本には規格がないそうです。
手の施しようがなく、希望すれば大学病院も紹介すると言ってくださいました。
ただ、そこに行ったところで回復するわけではなく、膀胱に針を刺して出すことしかできないかもしれない。
そんな不自然なことをしてまでマリアが生きることが幸せなのか?と考えるとちょっと違う気がしました。
リラックスさせて尿を出すしかない。
飼い主である私がやるしかない。
YouTubeで圧迫排尿の仕方の動画を何度も見て、やってみるけど難しい。
事故に遭ったネコチャンたちのお世話をされているボランティアの方々が簡単そうに行っているのですが、スゴい!尊敬します。
本当に世の中には素晴らしい方々がたくさんいらっしゃいます。
私もやってみるけど、膀胱の位置が触ってもイマイチ合っているのか分からない。
ただ、マッサージは得意なので、とにかく体に触れていようと思い、ネコのマッサージの動画なども見ながら、あらゆる筋肉を弛緩しようと思いました。
マリアの気持ちよさそうな顔を見ながら私も癒され、心地よい時間を過ごしました。
その時に、ハッと気づきました。
〝マリアの気分がよくて、私の気分もよければ、それでいいじゃないか。〟
そのいい気分が循環している空間には、決して体が悪化する要素はない。
〝もう頑張らない〟〝結果を求めない〟
ある意味、尿意などの感覚がないことで苦しんでいないマリアの姿がある。
そして、おそらく大きな衝撃を受けたにもかかわらず、歩けていることに、マリアの生命力の強さを感じました。
もう充分です。
そう思ったらとてつもなく今この瞬間が有り難く、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
〝今この瞬間、常に気分よく存在する〟
自然とそんな状態になっていました。
よく考えてみると、マリアが生きて帰ってくれただけで充分だと心から思いました。
なんて幸せなことなんだろう。
あのまま居なくなっていたら、私はきっとあの日遊ばなかったことを後悔していたことだろうと思います。
15年前、母が亡くなった時、私は後悔しました。
母が昏睡状態になったその前の日、私は母の病院に行く予定にしており、母も楽しみにしていました。
その当時、岡山に住んでいて、週末は実家に帰って母の病院に行っていました。
その日は金曜日で、仕事が終わってから車で帰りに病院に寄る予定でした。
けど、仕事で疲れていて、帰るのが面倒になり、その日の夜は帰れないと母に連絡し、明日の朝帰ると伝えたところ、めずらしく母がすねたように怒っていました。
〝もういい!〟と電話を切られ、本当に普段そんなこと言わないのに…更年期かな?とか思ったりしていました。
その日の夜に危篤状態になり、その2日後に息を引き取りました。
息を引き取る前の夜中に、付き添っていたのですが、うとうとしていて目を覚ましたら、意識のなかった母がベッドの上に起き上がって座ってこちらを見ていました。
驚いて声をかけたら、『あれ?仕事は?』と言うのです。
それが母が最後に遺した言葉でした。
それから10年間は後悔の中にいました。
〝あの時帰っていれば…〟
違った結果になったかもしれないという、今思えばとんでもないエゴですが、そう思ってました。
けど、ヨガを本格的に仕事にしようと思い始めて自分と向き合っていくうちに、この感情を心底手放す事ができました。
ヨガをやっててよかった。
今回のことも、ヨガと共に生きているおかげで乗り越えられそうです^ ^
移りゆく感情に流されることなく、ただただ、あるがままをあるがままに感じていく。
その実践を繰り返して今があります。
今回もマリアのおかげで非常に深い経験をさせていただきました。
おかげさまで、マリアも自発的に排泄をしております♡
誰の手も煩わすことなく、マリアは元気に過ごしています。
何気ない日常がさらに愛おしく、キラキラと輝いております^ ^
そんな毎日に感謝です。
次回は、その後のマリアの経過と新しくお迎えすることになった仔猫ちゃんについて書いていきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました♡