ヨガと運動の違い③
2022/03/16
〝行き先は決めなくていい 風にまかせてみよう…〟
18年ほど前、転勤で岡山に出た時に一人暮らしの部屋に飾っていたポストカード。
そこに書いてありました、このメッセージが何となく好きで、今も仕事場の自分のスペースに飾っています。
思えばずぅーっと、こんな感じで生きてきたなと思います。
子供の頃は親の転勤で、幼稚園を2回、小学校を3回変わり、その後中学高校と環境が変わり、大学で実家を出て一人暮らしも経験し、就職してからも転勤があり、いろんな場所で過ごさせていただきました。
高知に来てからも、お店を始めてから10年経ちますが、店舗が4回変わっております^ ^
お店の中では、このSalon rreが今では一番長い場所となりました。来月で丸4年となります。
さすがにもう、今回はここで落ち着きたいという気持ちがありました。
〝地に足をつけたい〟
そんな感じです。
筆山のこのサロンは、風の通り道で遮るものはなく、空に浮かんでいるような感覚にもなりますが、ずっとここに居てとても落ち着いていて、今はどっぷりと地に足がついている様な気がします。
前置きが長くなりました。
何故、この様なことを振り返るのかと申しますと、自分の人生でありながら、あまり自分で強く願ってこうなったという感じではなく、流れに身をまかせながら、その時々で〝今が最高〟と感じられていて、それには、自分の可能性を最大限に引き出してくださった周りの方々のサポートのおかげで今があり、ぼんやりと描いていた自分の想像を遥かに超える有難い人生となっているなぁと、最近つくづく思っており、そういった人生そのものがヨガに通じているなぁと感じたからです。
前回のブログでは、ヨガと運動の違いは価値観の違いで、ゴールのイメージが違う。
〝心の平安〟〝心と身体の健康〟と言ってもその定義が違う…
それにより、同じ様な事を行っていても、似て否なるものであり、自分の心持ちや効果が違ってくるという事をお伝えしました。
今回は、②意識するところの違い です。
これは、ヨガの中でも違いがあります。
例えばこんなことありませんか?
『呼吸を意識して』と言われると、逆に呼吸が苦しくなる。浅くなる。力が入って難しい。ということ。
今まで意識していなかった事を意識するのですから、当然の事です。
それに対して、『自分は呼吸が浅い』『できない』と思い込んだり、落ち込んだり、または一生懸命音を立てながら『できている』と思い込んで満足したり…ジャッジしてしまう事が起こります。
『ヨガは呼吸が大切だ、呼吸を制するものはヨガを制する』『まずは呼吸から意識しましょう』とよく言われます。
私もそう言ってきたし、そう思っていました。
けど待てよ。
どうも不自然じゃないか?
頑張って呼吸をするなんて。
いや、でもヨガは頑張って呼吸をしてとは言ってない。そんなつもりではない。
頑張るとは言ってないけど、意識をするということは、人はそこを〝頑張れ〟と潜在的に言われているような気がするのではないか?
けど、ヨガを積み重ねる事で、呼吸は自然に且つ意識的にできるようになるものなんです。
そうか。
〝意識〟にも捉え方、その意味合いの違いが出てくるのだな。
インストラクターの想いと受け手の感じ方に行き違いがあるのでは?と感じらようになりました。
ヨガが言っている〝呼吸を意識して〟は、〝今の自分の呼吸に目(心)を向けて〟〝今の自分の呼吸がどんな感じか確かめて〟
どんな事を確かめるのか?
それは、呼吸が浅い、深いではなく〝心地よいか〟どうかです。
〝心地よいか〟とは、どこにも力みがないか、無理をしていないか、頑張っていないか…それは深い眠りについているような開放感で、自分の身体を越えていくかのように、身体が膨らんだり縮んだり、自然な流れで空気に溶け込んでいるかどうか。
そんな感じです。
ヨガで〝意識をする〟ということは、全てこんな感じです。
〝意識をして〟という言葉の意味合いも、もう少しその人に合わせてお伝えする必要があるなぁと、ヨガのレッスンを通して日々、生徒さまから教わっています。
ヨガの真理をあるがままにお伝えするのも自分の修行であり、やり甲斐のある仕事でとても貴重な経験です。
話を戻します。
ヨガで〝意識をする〟ということは、、
自分の現状をジャッジする事なく、あるがままに感じる。
そうする事で、身体が勝手に必要な力を使って心地よく流れ始めます。
生き物の体にはグルーヴがあります。
肉体組織が調和を持って動き出す、エネルギーのグルーヴ。
それは音楽のグルーヴと同じです。
いろんな楽器が紡ぎ出すグルーヴ感はとても心地よく、演奏している人や聴いている人の心に響きます。
私たちの体も同じです。
私たちの体が行なっているエネルギーの旋律が響き渡り、心と体が共鳴していく。そして、自分と周りの人たちがそのエネルギーを感じ合い、共鳴していく。その繋がりがヨガをしている、になります。
初めてヨガをする時はまだ、その事を経験していないので、言葉の解釈で頭を使ってしまうこともあるかと思います。
ただそれも、自然な心地よい呼吸をしていると、すぐにグルーヴ感を感じられるようになります。少し時間がかかる方もあるかもしれませんが、そうなると心も体も解き放たれたような感覚になるかと思います。
そこには思考が先導することはありません。
一方で、運動的意識というと、どうでしょう?
〝呼吸に意識を向けて〟ということは、〝呼吸で使われる筋肉に意識を向けて〟という感じでしょうか。
筋肉が動いているかどうか…それにより呼吸が浅い、深いが判断になるかもしれません。
浅いか深いかは人と比べてみたり、外の情報ですよね。〝何カウント以上吸えれば深い〟とかいう目安です。
それは、前回書いた、コントロールしようとしていることになります。
また〝ヨガは腹式呼吸ですか?胸式呼吸ですか?〟と聞かれることもあります。
身体の自然なグルーヴを感じるには、腹式と胸式、どちらの要素もあるのではないでしょうか。2択でどちらかとは言い難いです。
どちらか言い切ろうとすることも、運動的な気がします。
決めないでいい。
決めたところでその通りにコントロールするのはやはりヨガではない気がします。
意識を向けるのはそこではないということです。
呼吸以外でも、人は動く時、その部位に目を向けるとそこに力が入る傾向があります。
お腹を見て腹筋をすると、お腹に力がはいります。
腹筋=お腹に力を入れることと、思い込んでいる思考もあるかと思います。他の筋肉も使っているのですが…
そして、力が入っているかどうか、手で触って確認したりすることもあります。
この一連の動作、全てが思考からくる指令による確認です。
目で見る、手で触る。。五感を思考がコントロールしているかのようです。
そうして、思った通りにできていると、安心する。。。それは自己満足かもしれません。
また、思った通りにできていないと、ダメだと自分を責めたり、まだまだだと追い込んだり、更に緊張を伴う力を使ってしまいます。
そうして出来上がった筋肉は、どうでしょう?柔軟性には欠けるかもしれません。
ちょっと試してみてください。
緊張による力を入れて、ポーズを保持している時、目を閉じてみると、とたんにバランスが取れていない事がわかります。
必要な力でないところが使われていることにも気付きます。
身体は繋がっていますから、意識したところ=〝ここに力を入れる〟と思考がコントロールしたところにだけ、力を入れるとバランスが崩れて、それを補うために他のところに力が入ったりします。
均衡の取れた身体であれば別かもしれませんが、それでも心と身体は離れていきますので、調和が取れずグルーヴどころではないですよね。
〝身体の部位を意識しながら動くのが大事〟〝今、ここのこの筋肉を鍛えていますので、そこに意識を向けて(力を入れて)〟というのが運動かなぁと思ったりしています。
分かりやすいので、取り入れやすいのが運動です。
ただ、1+1=2 のように簡単に答えが出ないのが私たちの身体です。
しかも人それぞれ答えが違う。
しかもその時々で違う。
毎日変化します。
興味深いですね(^-^)
だから一生続ける必要があります。
ヨガは〝身体全体の繋がり〟を自然に身体に任せることを意識していきます。
そうすることで、自分が頑張ることなく自然のサポートを借りて身体を動かしていることに気づきます。
ということは、身体のどの部分をどう動かすという意識は全くしなくてもよいというところに辿り着くのかもしれませんね。
〝自分という我をなくす〟
さぁ、どうしましょう^ ^
〝行き先は決めなくていい 風にまかせてみよう…〟
一生かかりますね。
一生かかっても辿り着けるかどうか分からない。
昨年、その事に気づいてしまい途方に暮れた時もありました。
私がこの壮大なヨガをお伝えしていいのか?とも考えました。
けど、そんな事考えても答えは出ないので、今の自分の等身大でできる全てのことを心を込めて行っていこうと思いました。
こんな感じでヨガを続けていきます^ ^
これから起こるヨガでの経験を、これからも少しずつ綴っていけたらと思っております♡